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No Way Out

はてなが苦手な人間によるはてなにあるまじきエロな話題 削除上等

スイッチの違い

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未だに淫語についてあれこれ考えてたりして、何だかずいぶん無駄な時間を使ってるなと自分でもあきれるのだが。

 

結局今のところ結論としては、淫語ものというのは一周してもとの鞘に収まったというか、エロ動画というかエロビデオの重要な構成要素が、ある地点で注目され取り出されたことでさらに磨きがかかり、今はまたもとのエロの中に帰って行き再び一体化したのではないかということ。もちろん大胆といえば大胆、投げやりといえばまさにその通りのテキトーな仮説にしかすぎない。

 

開き直って大上段に構えると、我々はエロビデオを見る場合何を求めているのかという問いに行き着いたりする。そこに行った場合、それがすべてではないけれど「非日常」的な性の姿を見てみたいというものも答えの一つとして上がると思う。

 

「淫語」なんかはそれこそ日常的ではない。そらまあ南智子さんみたいな彼女や奥さんいたら毎日それこそ天国だす。でもあれは彼女のお仕事であって、南さんが実際のそういう場面で、あるいは一日中あのようとは考えにくい。さすがの夢想家の私ですら「それはないな」と思う。むしろそういった実際の(性)生活が透けてみえないからこそプロなんであろう。

 

ビデオで堪能できる南さんの淫語も、行為や雰囲気と混ざりあって興奮度が高まるんであって、一部だけ抜き出すとつい笑ってしまうということもあり得る。実際あの性感Xシリーズを見たある女性には、南さんが男優を責めたてながら「ほ~ら、ほら、ほらほら、ほらほらほらほらほらほら」とヒート・アップしていく場面が別の意味でツボだったらしい。彼女が食事の後テーブルを拭くときにいきなり少し鼻声になって南さんを真似ながら「ほ~ら、ほら、ほらほら、ほらほらほらほらほらほら」とフキンの速度を上げて行ったのを見たときはひっくり返るほど笑わされた。

 

 

普段から下ネタをかます女性というのも淫語からは遠い位置にある。結局下ネタというのは下ネタ以上ではなく、男に対して淫語のような効果があるというわけではない。むしろヒクという人が多そうだ。結局「淫語」というのはかなりの部分作り物の世界で生きるものなんである。

 

かと思うと女性にはわざわざそういう下ネタというかワイセツというか、あまり品の良くないことを自ら口にすることでスイッチが入るという人も結構いるから難しい。んじゃ女性同士で下ネタを話し合うとき彼女らが興奮しているかというとそうではないという。なんだかよくわからん。女性のスイッチの入るときやボリューム(声の大きさのことじゃないですよ)のコントロールもつかみづらい。要するに私には女の人の性というのは本当によくわからん。

 

当然主に男性向けに作られているAVやポルノなんかも見ているポイントが違っている。男なら全然気にもとめないようなところがすごく重要だったりするらしいというのは一応理解はしている(ということにしておく)。かなり女性向けAVというものも出てきていて少しづつ市場が形成されていっているそうだが、それが今の女性向けアダルト・コミックの規模まで育つかどうか興味深い。

 

旧来の常識では「男は視覚的な刺激で興奮するが女性はそうではない」ということだったが、どうもあのレディース・コミックを見る限りそれもあやしく思える。いくら「女性はシチュエーションが、物語性が・・・」といっても、いやどれもみんな似たようなもんじゃんと。結局人気あるのは絵がセクシーだったり過激な描写だったりしてるわけでしょ?といったらレディ・コミの月刊誌で頭殴られた。そこは守りたい最後の見栄の部分ということですかい、といらぬ追い打ちをかけたら今度は角のところでガツンとやられた。

 

なんの話だっけ?ああカテゴリー「エロ動画」に入れようと思って書き出したんだった。ということで無理やりつなげると・・・基本男がエロ動画を見る ときは行為と同様、主役というか中心となる女優さん・モデルさんが重要だと思う。大勢の人に人気の高い女優さんが「単体女優」さんということになるのだろ うが、どうも私はその「単体女優」さんが苦手というかあまりスイッチが入らないらしい。珍しくスイッチが入る単体女優さん見つけたと思ったらその人は一年 前に引退してたとかも結構ある(w。

 

何 故か知らないが昔から好きになる女優さんは「企画女優」とか「企画単体女優」さんとカテゴライズされがちな人たちである。別に特殊な嗜好のビデオを好むと いうわけではないので、自然やってることは単体女優さんとあまり変わりがない。ないにもかかわらずその人はなぜか「単体」よりややランクの下がる位置に置 かれていることが多い。『なんでこの人がもっと人気ものにならんの?』と不思議に思うことも多いのだが、同時に自分のスイッチは微妙に世間からズレた位置 にあるのかと疑問に思ったりもする。

 

 

そういえば男女の違いだけでなく海の向こうの人との違いもある。欧米人女性は結構男性向けに作られたポルノを好んで見る。それも見て楽しんでいることをあまり隠さない。こいつおっさん化しとるんじゃないかと思ってしまうくらい昔のポルノ女優に詳しいアメリカ人女性がいた。よくよく聞いてみたところポルノはある意味ポップ・カルチャーの一部になっているところもあるそうだ。日本のように「アイドル化」するAVとはまた違う文化が向こうにはある。

 

かと思うとそういうある意味「文化的」にではなく、単純に「うわーすごいーーー」と大喜びしながら見る人もいたりでこれまたよくわからん。女性にはPrivateとかの綺麗系メーカーが人気なのかと思ったらそうでもなく、結構えぐい奴に人気があったりすることにも一瞬「え?」

 

しかしわが身を振り返ってみると、自分自身のスイッチの位置も常に一定とは限らないことに気付いた。ムラっとくるというかピンとくるとかそういうポイントが結構ぶれている。もちろんある程度決まった好みはあるのだが、時に思いかけないことがスイッチを入れる。結局そのスイッチのありかやあり様というのは自分自身のものでも完全に把握できていないわけだから、人様のことなど特に異性のそれなど私風情には理解不能ということか。

 

それでも異性の、つまり女性の彼女ら自身による自身の性の探究や解説は見たり聞いたり読んだりしているだけで楽しい。いやあの、スケベ心でなくてですね、いやスケベ心であるのはそうなんですが・・・。

 

セックスに関してインターネットの普及期によく「ネットは大規模な出会い系」とか言われた。それについてはかなり疑問を持ったが、同時に言われた「ネットは性のマイノリティの解放を助ける」ということにはなるほどと思わされた。一番目に見える形でそれが出たのはゲイ・コミュニティだろう。そっちについては「よかったですね」くらいに留めておいきたいが。性のマイノリティであった女性の性、あるいはその表現が変わってきたことには「いいぞ、もっとやれ」と応援したい。あ、いや、本当にスケベ心でなくてですね・・・。

 

性衝動のスイッチ、性の表現、世が世なれば「秘め事」と呼ばれることなのでそうすぐには変化はおこらないだろう。それでも今から一世紀も経てば随分と世の中の様子が変わっているんだろうなという予感はする。